LESSON
Tuesday 火曜
※大切なお知らせです。
2022年9月13日をもちまして、ラス・リサスでの火曜レッスンがおわります★
今まで来てくれた方、本当にありがとうございました。数々のご縁に感謝です!
ブログにて現状とこれからの事も少しシェアしております。
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サルサのミニ知識
と言うところですが、まず圧倒的に違うのが、
キューバンサルサはペアを組む2人が円を描きながら踊っていくということ
※元々キューバではアメリカ統治下の頃に、出来た会員制のカジノクラブで、ペア同士が皆んなで輪になり、踊られたスタイル"Rueda de Casino"(Ruedaは車輪という意味)が、キューバ革命後の1959年頃に民衆化し、ストリートで踊られたりして広まったスタイル。
サルサon1(昔はよくLAスタイルと言われてましたが)はペアが線上(リニア)を踊っていくということ。
サルサの音楽が確立してきたのは1970年代ごろ。音楽とダンスの広がり方はそれぞれ、少し違う広がり方。
West Coast Swingやハッスルなどのスピーディーでダイナミックなダンスが西海岸で特に流行った影響でSalsa on1も似たようなステップの踏み出した方なので、のちにLAスタイルと呼ばれたのもあると思います。
一方
NYのPalladiumというダンスクラブで、
(当時の音源は"バンドの生演奏)
JazzやJiveなどのブラックミュージックで踊る黒人と、MamboやChaChaChaなどのラテンミュージックで踊るラテン人達が、同じ場所でお互いの踊りを見て、そしてそれを見たバンドメンバーもインスピレーションを受け、サルサの踊りも確立していった。最初のころは、どこでステップを踏みかえるかなんて、みんなバラバラ自由、好き勝手だったそうです
1曲の中でもon1になったりon2、はたまたまon3だったり。。(合わせるのが大変。。笑。
※情報の一部は音楽ライターの伊藤 嘉章 (Yoshiaki Mofongo Ito)さんのサルサと音楽の歴史のセミナー内容より引用させていただきました。とても勉強になる素晴らしい内容です★
その中で、コンガ(太鼓)のトゥンバオというリズムパターンに合わせてサルサを踊り始めたのがきっかけで、NY On2(裏拍子でリズムを取る)のサルサのメソッドを作り上げたのがEddie Torres.
※でも、サルサの音楽が成り立つまでは、忘れては決してならない15世紀のコロンブスがキューバを見つけて、アフリカ(主に西アフリカのコンゴ、アンゴラ、ナイジェリア)から奴隷として人を連れてきたことから始まります。
アフリカの人達は、入植者によりカトリックに改宗させられるという流れがあり、そこでアフリカ宗教とカトリックが融合した”サンテリア”という宗教が生まれた。
※サンテリアにはヨルバという踊りがある。
1970年代頃にアメリカとメキシコから振付師を呼んでヨルバの基本の踊りが作られたとの事(こちらはダーリン・Saekoさんによる講義で教えていただいたものを引用させていただきました。ありがとうございます)
その当時キューバで生まれた音楽、ダンスもヨーロッパ文化と混ざり合い、
メキシコなどの南米、ヨーロッパ、NYへと。。やがて世界へと広がる。
その頃のNYでは。。。
キューバで生まれたソン(サルサの母と言われている)ルンバ,マンボ、チャチャチャ
がNYでプエルトリコの民族音楽ボンバ、プレーナ、ジャズ、R&B、ロック、ブガルー、HIPHOP、ハウス、チャランガ、
等と混ざり合いできあがっていった。
※サルサはストリートダンス・ミュージックと密接な関係があります。
1959年のキューバ革命後は、キューバとアメリカの国交が途絶えた為、以前の様にミュージシャン達は、キューバとアメリカを行き来出来なくなり
情報も入って来にくくなった為、それぞれの国で独自の音楽文化が生まれていいたのも重要なポイント💡
その歴史背景には、人々の血が流れていたし、魂からの喜怒哀楽、社会情勢が全て複雑に絡み合っているという事。。
ここでは全てを書ききれないほど、奥深いレイヤーでここまで歴史を刻んでいます。
かなぁ〜り割愛しましたが(笑)読んでくださり、ありがとうございます!
感謝❤️感謝!
Muchas Gracias!!!!!!
Sakurako Salsa © 2022